50代男性 震災体験談(震災翌日〜現在)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
50代男性 震災体験談(震災翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
ファイルサイズ 134KB
コンテンツ番号 UT00000201
説明・要約
【震災翌日〜現在】
翌月の4月から関東リーグに昇格することが決まっていて、チームを立ち上げ直している最中でした。3月には大学と社会人チームが参加できる大会があり、私たちのチームは翌々日が決勝戦という日でした。勝てば社会人代表として天皇杯に行くことが決まる大切な試合です。震災が起きてしまったので当然延期になるとばかり思っていたら、なぜか中止になってしまいました。そして決勝戦はなく、決勝戦で試合する予定だった2チームが優勝ということになりました。 通常であれば、社会人の優勝チームと高校生の優勝チーム、そして大学の優勝チームが戦って天皇杯出場が決まります。ところがグラウンドが確保できないなどといった諸々の理由で、社会人チームは除外されてしまいました。海に近いグラウンドも多かったため、スケジュール組みがとても大変だったのだと思います。苦肉の策として、そう決定されてしまったのです。天皇杯を目指して頑張ってきたチームとしては、大きなチャンスの損失となりました。
サッカーを通じて子供たちにも貢献そして期待
震災から1年半後、浦安サッカークラブの主催で被災地交流サッカー大会を開催しました。岩手、宮城、福島から3チームを招待し、1泊2日で大会を行いました。もちろん試合も行ったのですが、どんな震災体験をしたのかを発表し合う場を設けました。なかには車の中に閉じ込められたまま川に流されたという子供、学校に閉じ込められて理科室の実験台の下で3日間も水なしで過ごしたという子もいました。実際に同年代の子供たちの話を聞くことができて、浦安の子供たちにとってもとてもいい機会になったと思っています。 興味深かったのは、将来の夢を語り合う場面で、浦安の子供たちは「プロのサッカー選手になりたい」、「ワールドカップに出場したい」などと言ってましたが、東北の子供たちは「何か人の役に立てる仕事に就きたい」「多くの人を助けたい」などと発表する子がほとんどなのです。被災地で多くの人たちに助けられた経験があってのことだと思うのですが、これはとても印象的でした。 浦安には16万人ほどの住民がいるのですが、そのうちおよそ1800人の小学生がサッカーをやっています。震災があったことによって、サッカーができることに感謝するようになった子供たちも多いのではないでしょうか。被害を受けた人の中には大きな損害を被った人もいますが、サッカーを盛り上げることで市民の皆を笑顔にできたら、と思って活動しています。