50代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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50代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
ファイルサイズ 124KB
コンテンツ番号 UT00000200
説明・要約
【震災当日】
横浜で会議中に震災 震災当日は仕事で横浜にいました。ちょうど会議の最中に、大きな揺れがきました。そのあとすぐに公衆電話で自宅に電話をしたのですが、息子が「家が傾いた」なんて怖いことを言うのですよ。心配になって早く家に戻りたいと思ったのですが、あいにく交通機関はすべて止まってしまっていました。 夜中に地下鉄が動き出したので、なんとか駅まで歩いて行いき、そこから東西線に乗って家へ向かいました。浦安の駅にたどり着いたときには、すでに午前4時頃だったかと思います。
家に近付くにつれ、風景が一変 駅から自宅のある東野三丁目までは、徒歩で約40分の距離です。駅前は特に変わった様子もなく、途中にある24時間オープンのスーパーで水を買ったりしながら家を目指して歩いていました。ところが、段差道路を超えた瞬間に風景が一変しました。段差道路というのは昔堤防があったところなのですが、そこから海側は早くに埋め立てたエリアです。私の内側は昔からの住宅地で、特に自宅のある海側のほうはひどい状況でした。 まるで雪でも積もっているのかと思うような光景で、液状化によって噴き出した土砂があたり一面を覆っていました。住宅地に入ると車のタイヤが半分埋もれ、傾いた状態の家も数々あります。たった50mほど先はなんともないのに、道路を超えた途端にこのような状態です。まさに不思議な光景でした。
液状化の被害に断水、排水処理の問題 家の周囲は、液状化で噴き出した泥で一面が覆われています。建物マンションとアスファルトの道路の間から、集中的に泥が噴き出し、それが積もってしまっている状態でした。家の前の道もなかなか通ることができません。それからしばらくの間は、スコップで泥を取り除き、土嚢袋に入れて指定の場所まで運び出すという作業が延々にと続きました。たまたま周囲は高齢者が多い地域でもあったため、若い人が積極的に作業をしないと一向に進みません。皆、会社を休んで土砂を取り除く作業に専念していました。 水が止まってしまったため、毎日小学校へバケツを持って水を汲みに行っていました。お風呂は2日に1回ほど、葛西のスーパー銭湯へ行っていましたが、浦安の人がたくさん押し寄せるので常に100mほどのの長蛇の列ができていました。洗い場にも人があふれ、順番を待って並ばなくてはならない状況です。お風呂に入るだけでもかなりの労力が費やされました。もちろんトイレも使えませんから、近くの公園にある仮設トイレを使っていました。