入船在住 80代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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入船在住 80代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000133
説明・要約
 ●低層ビルのマンションで被災
全国でも珍しい11階建ての高層ビルと2〜3階の低層ビルからなる複合マンションに住んでいます。私は低層マンションのほうに住んでいるのですが、当時から160人ほどで構成する団地の防災隊長を務めています。
地震に見舞われたのは、外出先から帰り、ちょうどくつろごうとしているときでした。ドンと大きな揺れがきて、まずは妻にドアを開けるように指示。私はお風呂場へ飛んでいっ て水で浴槽を満杯にしました。
●マンションの防災隊長として出動
あまりにも揺れが大きかったので、しばらくしてから管理組合の集会所へ自治会長に会いに行きました。というのも、震度5以上の地震があった場合は、ただちに対策本部を立ち上げることが防災規定で決まっていたからです。当日は夜の10時頃まで、翌日も朝早くから夜遅くまでといったように、震災以後3日間は対応に追われ、寝る時間もないほどでした。
ほとんどの住民は都内へ通勤していて、日中マンション内にいるのは高齢者か子供ばかりです。人的被害があってはまずいと思い、まずは手分けをして住民の安否確認を行いました。当時マンションには789世帯が住んでいたのですが、電話も通じないため、民生委員なども動員したのですが、全員の安否確認までに夜10時までかかりました。
たまたま外出中で、地震のあとに戻ってきた住民のなかには、怖くて家には戻りたくないという人たちもいました。そういう方たちには備蓄してあった古毛布などを貸出し、少し落ち着くまで近くの公園に避難させました。
●夜遅くまでさまざまな対応に追われる
マンションの建物自体に異常はなかったのですが、余震が来た時に地面に段差ができ、瞬く間に液状化の黒い水が湧き出してきました。あとになって低層階に比べ、6階以上の揺れがかなり激しかったことがわかりました。我が家はほとんど被害もなかったので、妻を家の中に残したまま、ずっと対応に追われていましたね。
自治会、管理組合、防災隊の役員のなかにはいろいろな職業の人がいて、彼らの専門知識や技術が本当に役に立ちました。震災時には、改めて人脈の広さがいかに重要であることかを感じました。
断水していましたが排水管に問題がなければトイレは使えるので、中学生や高校生を動員して、庭の池の水を高齢者宅に運んでもらったりもしました。駐車場のスロープにひび割れができてしまったのですが、その応急処置にも追われました。