日の出在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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日の出在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000152
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●浦安市内でも地域によって被害の規模はさまざま
震災の翌日が土・日曜だったことがよかったとも言えるでしょう。多くの人が家にいたため、泥の取り除き作業などが迅速に行われました。会社員や学生が総出でスコップを使って泥を取り除き、車で市が廃棄場所に指定した岸壁のほうへ運び出しました。
また、浦安市内では確かにさまざまな被害はあったけれども、大きい建物が倒れるということもなく、死者がでなかったことは不幸中の幸いでした。翌日から周囲を見てまわったのですが、被害が特にひどかったのは30年ほど前に建売りした集合住宅でした。何棟もの家が、見た目にわかるくらいに傾いていました。
昔からの町である元町は地盤がしっかりしているため、ほとんど被害を受けていませんでした。もしもこのエリアまで崩壊していたら、とても大変なことになっていたと思います。家も密集しているエリアなので、おそらく火災も発生していたでしょう。
●トイレが使えなかったのが一番の苦労
上下水道が使えなくなり、一番大変だったのはトイレの問題です。最初は公民館のトイレを使わせてもらいましたが、3日後ぐらいにはやはり使えないということになり、近所の仮 設トイレへ行かなくてはなりませんでした。
大きなマラソン大会のような光景を想像していただければわかるかと思いますが、公民館や小学校の庭に仮設トイレがズラリと並んでいました。多かったところで 10ほどのトイレが並んでいたかと思います。このあたりでトイレが使えなくなったのは浦安だけだったのでまだよかったのですが、東京都周辺がすべて同様の状態であったら、とても数が足りな かったのでは……と思います。全国さまざまな場所から調達してもらったと聞いています。
水は市内のホテルからもらってきていました。ホテルの敷地内に井戸があり、その水を一 般に開放してくれたのです。各部屋のお風呂も使わせてくれるという話でしたが、結局ホテル内に多くの工事関係者が宿泊していたため、それは実現しませんでした。それでも公衆浴場を開放してくれたりしたので、随分多くの人が助かったと思います。
●震災後、約1週間後に入院
3月17日から入院したので、以降は病棟の窓から工事の様子を眺めていました。毎日毎日 少しずつ変わっていく様子を見ていたのですが、復興にはやはり時間がかかります。特にインフラに関しては相当の時間を要します。特に下水管の大工事などは大変だったと思います。道路などは、今でもまだ完全に復旧した状態とは言えません。
それでも、東北に比べたら浦安の被害はたいしたことはありません。私は岩手の生まれなので、震災直後から昔からの知人や友人のことが心配でたまりませんでした。今でも彼らのことを考えると、とても切ない気持ちになってきます。