明海在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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明海在住 70代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000150
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●翌日の朝、電車が動き出すと同時に帰宅
翌日の朝、総武線が動き始めたということで、モノレールで千葉まで行ったのですが、人でいっぱいでした。あまりの人込みだったのでとりあえず改札口を通り抜け、目の前の電車に飛び乗ったのですが、なんと快速だったのですね。しかも乗り込んだところはグリーン車でした。ギューギュー詰めのなか、東京駅まで連れていかれてしまい、仕方がないので今度はそこから東西線に乗って浦安駅まで戻って来ました。
浦安駅に着いたのは、お昼頃だったと思います。バス乗り場にもタクシー乗り場にも長蛇の列ができていて、とてもいつになったら乗れるかわからない状況でした。そこで歩いて帰ろうと決心し、夫に電話で伝えると、途中まで自転車で迎えに来てくれました。道路はかなりの損傷で、大きな段差ができてしまっている箇所もありました。そこをなんとか歩 いていると、途中で夫に出会いました。そこで大きな荷物を荷台に乗せてもらい、ふたりで家に向かって歩いて行きました。
●上下水道が使用できず、大変な思いをする
家に戻ると、水が使えなくなっていました。もちろんお風呂にも入れませんし、洗濯もできません。ガスは使えましたが、水がなければご飯を炊くこともできません。給水車が近くに来ていると聞いたので、そこへ水を汲みに行きました。毎日長いこと並んで 10 リットルの水をポリタンクに汲み入れ、自転車に積んで運んでいました。道路は凸凹ですし、水は重いし、本当に大変でした。
下水道は使えることには使えたのですが、流れた水が詰まるといけないということで、できるだけ使わないようにとのアナウンスがありました。集会所近くに仮設トイレが3つほど設置されていたのですが、毎日のこととなると大変です。特に夜などは寒くて辛い思いをしました。
●しばらくの間、東京の娘のマンションへ避難
料理をしなくてもいい簡単な物を食べ、お風呂にも入らず、トイレを使いたくなったら仮設トイレまで行く。何日かそういう生活を送っていましたが、かなり辛い状況でした。心臓弁膜症という持病があるのですが、あまりストレスになる生活は体にもよくありません。そんなときに東京に住んでいる娘がしばらく一緒に住もうと言ってくれ、震災から5日目、17日に東京へと移りました。
21 日に近所の方たちから上下水道が復旧したとの連絡を受け、翌日浦安の自宅へ戻りまし た。私が不在にしていた間、同じマンションの若い方たちが何度か安否を確認しに来てくれたと夫から聞きました。液状化で溢れ出た泥は、中学生たちがボランティアで頑張って取り除いてくれたということです。マンションですから隣近所の付き合いもあまりなかったのですが、震災を機に皆で声を掛け合うことの大切さを実感しました。