弁天在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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弁天在住 70代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000088
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
 ●1 カ月以上、水に苦労していた
上下水がダメになり、多少備蓄していた水でしのぎました。うちのマンション近くの公園 は上水が別系統だから水が出ましてね、何度かバケツで汲んでいました。GW 直前の時期 になって下水が復旧しました。新町の息子の家は早くに復旧していたので、風呂やトイレ を使ってと言われていましたが、距離が 2.5km といささか遠い。そこで自宅近くの公民館 に建てられた仮設トイレを利用していました。
あるとき、給水所に自衛隊給水車がやって来て作業をしていました。習志野の空団と分 かり、「我々よりも東北を」と伝えると、なんと翌日から東北の被災地へ行くと。習志野空団といえば精鋭ですからね、本来であれば一番の被災地である東北に着任しなければい けないのに、浦安で水を配っていては東北の被災者に申し訳ないという気持ちが隊員にも 住民の私にもありました。
都内は水もトイレも使えるので、震災 3 日後の月曜日からは都内の研究所に行ってましたね。日本語のボランティア講師をやっている家内は日曜から海外へ行く計画があったので、 浦安から 1 人でも減ったほうがいいのだろうと行かせました。
最初の 1 週間くらいは風呂を我慢しましたが、やはり入りたくなります。ディズニーのホテルが風呂場を解放してくれていましたし、老人集会所という施設で風呂を借りたこともありました。真夏ではなかったので、毎日入る必要もなかったのが幸いでしたね。計画停電には迷惑しました。
●混乱のなか、外国人たちが取り残されていた
浦安には外国人も多く住んでいます。新浦安駅前の国際センターが閉鎖されていたため、 外国人たちは給水や停電についての情報を受け取れなくて大変だったでしょう。日本語を読めない方たちもいるわけですから、ああいった災害時には水がどこにある、避難所はどこにあるといった情報を英語、中国語、韓国語あとスペイン語で各公民館や駅前に掲示するのが良いでしょうね。家内は日本語学習の教え子たちに情報を流してあげていました。 国際交流協会の会長である私は、それが非常に心苦しかったですね。