70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
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70代男性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000071
説明・要約
 ●震災直後、すぐに対策本部を設置
地震が発生した日、たまたま会社 OB の健康診断ということで外出していました。血圧が高 いと診断され、なんだか納得がいかずに自転車をこいでいると、突然転倒してしまったの です。まさか脳卒中ではないかと一瞬思ったのですが、立ち上がってみると周囲の電柱な ども大きく揺れています。それで、地震が発生したのだということに気付きました。
揺れが収まってから急いで管理組合の事務所に戻り、直ちに対策本部を設置しました。実は航空会社勤務時代に「御巣鷹山事故」という惨事があったのですが、そのときの経験を活かし、さっそく対策本部組織図を作成しました。また、防衛庁に出向していたことで、組織について多くの知識を習得していたという背景もあります。地震後すぐにサラリーマンOBの理事 4人が自主的に集まってくれましたため、迅に行動することができました。
●管理組合理事長としての任務に追われる そのとき住民の多くは、液状化についてほとんど知りませんでした。地面から噴き出す泥 水を見て、皆、水道管が破裂したと騒いでいたのですね。そこで、ハンドマイクを持って 敷地内を回りました。5 人で手分けをして、被害状況を把握するためにマンションの状況を 隅々までチェックしました
水道が使えなくなってしまい、まず考えたのはトイレ難民の問題です。人口約 3,600 名もいるマンションですから、火災が発生していないこと、さらには汚水管にも問題がないこ とを確認し、受水槽に入っていた水の約半分残して使うことに決めました。翌朝、各家庭 用に配ったのですが、誰かが通報したらしくしばらくしてから消防所から叱られましてね。
かなり後になってわかったことですが、なんと管理組合ができる以前に、開発業者が町長 との間でいざというときには受水槽の水をすべて貸与するという契約が交わされていたのでした。維持管理は管理組合で行っているので、現在はすべての権利を返還してもらうように準備を進めています。
●43 時間寝ずに対応
地震発生以降、対応に追われて 43 時間ずっと寝ることができませんでした。今思うとまる2日近くも働き続けていたわけで、よくもこの年齢でできたものだと我ながら感心してしま います。
やっと少し落ち着いたので、2 日目の夜、家に戻ると、帰宅難民になったと思っていた妻が いたのですね。腰を抜かして倒れていました。12 階に住んでいたのですが、大切なものが 割れたりして茫然としていたそうです。今考えると、とんでもない亭主ですよね。でもそのときは、マンションの状況把握と住民たちへの対応に必死で、家のことまで気にしてい る余裕はありませんでした。