美浜在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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美浜在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000126
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●マンションの管理組合が機能していた マンション内では震災当日から防災放送がスタートしました。当日の晩には仮設トイレを 設置するから男性の方はお手伝いをってアナウンスがあって。翌日の朝には「おはようご ざいます!」で始まって男性は泥かきをします、女性は 1 軒ずつ安否確認を行いますから ご協力をと。私も階段で移動しながら 1 軒ずつピンポンを押して安否確認しました。
震災翌週はずっと休暇の予定だったもので、家やマンションのことをやっていました。食 べ物で困った記憶もあんまりないですね。
●水の確保やトイレに苦労した 給水は美浜南小学校に 1 回行ったくらいかな。そのあとはホテルがお水を提供してくれて いて、お風呂はその隣のスポーツジムでシャワーを貸してくれていました。水が復旧した のは 10 日後ぐらいでしたかね。というか、上水は戻ったけど下水がまだだめでね。九州の お友だちから「これくらいしかできないけど」なんて、お水を送ってもらいました。嬉しかったですよね。浦安の被害が報道されるようになってから、全国のいろんな知り合いから電話がきました。
やっぱりトイレは不自由しましたよね。流せなかったのでね。仮設トイレは女性だと使いづらかったです。私は新浦安駅前の MONA とかでトイレをよく使わせてもらいました。
●マンション住民同士の連携が生まれた マンションの駐車場は平置きと機械式立体の 2 種類あるんです。平置きの方は堆積した泥 をよけてしまえば問題ありませんでしたが、機械式は動かなかったんです。そこで平置き 駐車のオーナーさんたちが住民の買い物などに車を出してくれてね。毎日のようにボラン ティア募集のプリントを 1 軒ずつ配ってね。明日これをやれる方とか、明日車を出しても らえる方とか、あと元看護師とか医療知識のある方も集めていましたね。何かケガをした らすぐその方たちに手当てしてもらえるから。あの震災をきっかけに入居者同士の交流が 一気に増えましたね。
単身高齢者の方などは気の毒でした。ある時知り合ったお宅の方などは「お水がないけど 階段を降りて買いに行けない」ってね。同じマンション内で孤立しかけているんです。だ から毎日声掛けして、代わりに買い物に行ったりしてね。学生さんが春休みでしたから、 力仕事は彼らが頼りでした。
●気分が塞いで浦安を離れた 泥だらけで道がでこぼこした浦安にいると気分が落ちてきてしまって、気晴らしに都内の ホテルに泊まりました。主人が週末に帰ってきてくれて、壊れた本箱を片付けてから 2〜3 日は主人のいる名古屋に避難しました。そしたら娘から「水が使えるようになったよ」って連絡が入って、浦安に帰りました。