弁天在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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弁天在住 60代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000120
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●下水が使えず、トイレや洗濯に不便だった 翌日からはマンション内の泥かきです。2 日目もまだ泥水が出ていましたから、結構大変で したよね。私の友人が阪神・淡路大震災で被災したこともあり、日頃から防災グッズをあ る程度用意していました。簡易トイレもあります。下水が止まったらトイレが使えなくな りますから、震災から 1 カ月半ほどはその簡易トイレを使っていました。近くの富岡公民 館や公園などに仮設トイレもありましたが、私は自宅で簡易トイレでした。使用後のトイ レはそのままゴミへ。あの震災の直後でも浦安市はきちんと週 3 回、ゴミの回収を行って くれてよかったわ。じゃないと、ずっと汚物ゴミを保管しなきゃですからね。
結婚した娘が南行徳に住んでいましたから、お風呂は娘の家や新浦安のホテルを利用しま した。それから洗濯もできないでしょ。だけど、同じマンションの方で元町に仕事場を持 っている方がいたんですね。元町は水が出ていたからそこに洗濯機を 3 台設置してくれて、 私たちはそれを使わせてもらっていました。あの頃はタオルと石鹸と化粧水をいつもリュ ックに入れていましたね。出先で水道が使える場所があったら顔を洗えるように。
●たくさんの友人に支えられたあの時期 日々のうがいや洗顔などで出た排水はバケツにためて外にまいてました。でも、お料理は やっぱり不便ですよね、どうしたって水を使うから。その点、30 年以上浦安に住んでいま すから、地元に友人が多いのが助かりましたよね。ジャガイモやタマネギなどを洗って、 皮をむいたものを元町の友人から分けてもらったりしていました。
南行徳の娘の家のそばに水道局があって、いつでも水を汲むことができたんです。水はそ ちらでもらっていました。お風呂も洗濯もできないから、使う水の量も少ないですしね。
マンションにはホワイトボードの掲示板が設置されて、住民同士で給水やトイレの情報を 流していました。管理人さんが放送を流した時に不在の人は、大事な情報を聞き逃してし まうでしょ。だから、そんなアナログな掲示板が意外と活躍しましたよね。