堀江在住 60代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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堀江在住 60代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000118
説明・要約
【震災発生翌日〜現在】
●水を備蓄していたので不便はあまりなかった 震災の翌朝は、帰宅して食事をしていつものように床に就きました。夜間勤務がまだ続く 予定でしたから、部屋の片づけやなんかは休みの日にやることにしていました。 水がしばらく止まっていましたけど、マンション 1 階にある水道がちょろちょろと出ていてくれて、それを汲みに行ったこともありました。でも、いざという時のために飲料水と トイレの排水用の水を備蓄していましたから、あまり水で苦労したということはないですね。
●震災後はガソリンの確保に苦労した 食事はいつも自炊でしたが、米を炊くなどはしないで電子レンジで調理できるような簡単 なものを食べていましたよね。缶詰やレトルト食品は重宝しますよね。
むしろ私はバイクを毎日使っていたので給油にはシビアでした。あれはいつだったか…… 夜勤が終わるかという時間に、職場近くのスタンドにタンクローリーが入っているという 情報が入って。帰りにスタンドに寄ったら 40 分くらい待ちましたが満タンに入れられまし た。あれ以来、バイクのガソリンが 2/3 くらいになると満タンまで入れるようにしています。
●母の出身地が津波の被害に 私は出身が岩手の釜石でして、母親の実家の集落 70 戸くらいが津波で流されて。ニュースで釜石の映像を見たときは我が目を疑いましたね。小さい頃はあそこに住んでいて見覚え のある風景でしたから。親戚がひとり亡くなりました。
ほかにも親戚がいますから、ある とき「果物が食べたい」というので缶詰を送ったこともありました。あれだけの被害です から、親戚にどういう言葉をかけてあげたらいいのか……いまだに分からないですね。