入船在住 10代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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入船在住 10代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000060
説明・要約
【震災当日】
●翌朝、液状化被害の出た道を父と帰った:翌朝はまたカンパンとお茶が配られて。食べていたら父が迎えにきてくれて、入船の自宅までぐちゃぐちゃの道を上履きのまま帰りました。体育館であまり眠れていなかったので、家に着くなり爆睡していました。母がしっかりと備えをしてくれていたので、その夜はカセットコンロでうどんを作りました。母に感謝ですね。
●翌日から市川へ一時避難:家の水道とガスが止まり、市の職員だった母もずっと仕事に行きっぱなしだったので、震災の翌日くらいから市川の親戚の家に避難しました。弟の学校はまだ今後の予定が決まらず、家に残りました。市川のスーパーも品薄状態でしたが、浦安よりはマシでしたので、市川で買った物を親戚の車で浦安に届けたこともありました。広島のおばあちゃんの家からもいろいろな物資を送ってもらってました。自宅のほうは計画停電がなかったみたいですが、市川にいる時に1度計画停電を経験しました。使い捨てペンライトの明かりで従兄弟たちと遊んでいました。
●その後、広島のおばあちゃんの家に避難:1週間くらい市川でお世話になって、浦安に帰ったら今度は弟と広島に行くことになりました。両親が働いていたこともあるし、余震や放射能が心配だったので。4月上旬に自宅に帰ってきたら水やガスが復旧していました。まだ工事中の地域もあったりするし、地震が起きる度にあの震災を思い出したりしますよ。でも、震度3くらいじゃあ「まだ大丈夫だ」とか思っちゃうこともありますね。