弁天在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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弁天在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000104
説明・要約
【震災当日】
●傾いてしまった家をどうすべきか奮闘:家に特に被害はありませんでした。ただ、前日妻が言っていたように、やはり家が傾いていました。特に見た目にはわからないのですが、中にいると何だか違和感があり、ビー玉を床に置くと、ゆっくりではありますが、ころころと片隅へ転がって行ってしまう状況でした。2年ほど前に家を建て替えたばかりだったので、とてもショックでした。しばらくして、浦安の不動産屋さんが傾きに関するセミナーを開催してくれたので、さっそく参加しました。その後、自分でもネットなどで勉強し、傾斜してしまった建物を直すにも、いろいろな方法があることを知り、やっと前向きに考えられるようになりました。自治会でも勉強会を開き、どんな修理方法があるのかと情報交換したりしました。当時、私はかなり自主的に勉強していたので、スピーカーとして呼ばれ、小学校の体育館に人を集めて講演もしました。やはり多くの人が同じ問題を抱えていたのか、そのときは300〜400人ほど人が集まりましたね。
●保険が適用されるかどうかが大きな課題に:修理・改築するにあたり、保険の問題もありました。全壊、半壊によってかなり支払われる金額が違うのですが、当時私の家は傾いてはいたけれども、特に見た目に大きな被害があったわけではなく、何かが大きく破損したわけでもありません。地震保険が適用されるかどうかは微妙なところでした。それで、かなり暗い気持ちだったのですが、地震保険の上手な交渉の仕方をネットで公開している人がいるのを知り、何度かやり取りをするようになりました。さまざまな書類を用意し、こう言われたときはこう返すといったようなことまで、いろいろと学びました。
●無事に8月、傾いてしまった家を修理:さまざまな展開に備えてから、準備も万全ということで、2カ月ほど経ってからもう一度、保険会社に査定しにきてもらいました。すると震災に関する方針が変わったのか、意外にもあっさりと半壊に認定され、無事に修理費を出していただけることになりました。結局、8月には修理をしてもらい、傾斜の問題はクリアになりました。今思うとかなりの労力を費やしましたが、いろいろと勉強できてよかったと思います。それまで自治会などにはあまり参加したことはありませんでしたが、震災以降、皆でかなり情報共有して助け合ってきたように思います。周囲の方たちも、保険を適用して無事に修理を終えることができたようです。以降は、同じ地域に住んでいる人との関係性もかなり変わりましたね。