日の出在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
浦安市における東日本大震災の記録コンテンツのご利用について(利用規約)
日の出在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000039
説明・要約
●帰省中にカーラジオで地震の第一報を聞いた:主人の実家のある兵庫に滞在中でした。レンタカーで兵庫県内を走っていたときにカーラジオから「宮崎で地震がありました」と放送していて。でも私の携帯にはウェザーリポートサービスから「浦安市に大津波警報」のメールが入ったんです。一瞬、「どうなってるんだろう?」と思いましたね。そのうちラジオが先ほどの情報を修正して「宮城県で地震がありました」と。浦安にも津波警報が来たということは地元もかなり揺れているんじゃないかなと思い、すぐ娘たちに電話しましたが携帯が通じず……。
●新幹線は不通。在来線で名古屋まで移動:その日の夜6時半の新幹線で帰る予定だったので、とりあえず兵庫での用事を済ませ、すぐに新大阪駅まで行きました。駅に着いたのは6時頃だったと思います。すると、東京方面に帰る方が足止めされていてとても混雑していて……「新幹線は終日動きません」と放送されていました。駅周辺のホテルも満室だったので、主人と「ちょっとでも東京寄りまで進もう」と在来線で京都に出て、そこから近鉄に乗り換えて名古屋まで行きました。翌日朝一の新幹線のチケットがなんとか取れたので、その日はふたりで名古屋駅に泊まりました。
●ふたりの娘の無事を確認:娘たちと電話がつながったのは夕方でした。上の娘は学校が休みで、お買い物をするつもりで新浦安駅のイトーヨーカ堂にいたそうです。売り場のスタッフに誘導されて避難して、自宅までは液状化の中を泥だらけになって帰ったそうです。都内の高校に通う下の娘は、学校で保護されていて無事でした。学校からは食料なども配給されていたようです。上の娘が家に着くと、室内はとくに被害は出てなかったようです。ですが家の周辺は液状化で電柱が傾いていたりと、ひどい状況だったと聞きました。携帯写真を送ってもらって私たち夫婦も見ました。その晩、上の娘は余震と緊急地震速報で「こわい、こわい……」とおびえていました。夫とふたり何度も電話で励ましましたが、一晩寝ずに明かしたそうです。