当代島在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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当代島在住 40代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000033
説明・要約
【震災当日】
●自宅で被災。しかし冷静だった、「そのとき」:私が東日本大震災の最初の強震に遭ったのは、木造アパート1階の自宅でした。娘と楽しみにしていたイベントに出かけようと思って支度をしていたときにグラッときたので、娘にテレビをつけさせ、震源地が遠い岩手のことと知りました。揺れが収まると、幼稚園生の娘は「出かけようよー」とせがんできました。「電車は動いていないと思うよ」と娘をなだめながらふと外を見ると、友人が立っています。うちは大きなモノの落下もなかったので冷静でしたが、友人宅ではレンジフード(換気扇)や棚のものが落ちたりし、怖くなって逃げてきたとのことでした。
●身近には大きな被害がなく、危機感は大きくなかった:防災訓練などもしてきたはずですが、いざこういう大きな地震に遭ってみると、判断に迷うことが多いことに気づかされました。窓は開けたほうが良いのか、閉めたほうが良いのか。屋内ならどこにいるのが良いのか……。夫に電話してみましたが、つながりませんでした。まぁ、大事にいたってはいないだろうと思い、さほど気にはしていませんでした。テレビで東北現地の映像も見ましたが、正直なところ他人事という感じで、娘は相変わらず電車が動いているかどうかを気にしていました。私は役員であったため、予定していた幼稚園の卒園式が予定通り行えるのか、というほうが気になっていたように思います。
●夫も帰宅し、心配は近所に住む親戚の様子:避難してきていた友人も、大きな揺れが起きなくなったので、夕方には帰宅していきました。電話がつながらなかった夫も夜には帰宅し、不便なこともなかったので、テレビで見る東北現地の悲惨な様子には心を痛めましたが、浦安が被災地であるという認識は、その日にはまったくありませんでした。電話は夜になってもつながりませんでしたが、明海に住む親戚、木場に住む両親もおそらく大丈夫だろう、くらいに考えていました。