堀江在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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堀江在住 40代男性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000020
説明・要約
【震災当日】
●防災センターからの指示で市内各所へ派遣される:翌朝は10時すぎに一旦帰宅しました。自宅周辺や室内はライフラインもすべて無事でした。現場には食料がないだろうと言われていたため、ごはんを炊き、かまめしの素を混ぜたものを持参しました。自宅の方はそんな風に無事でしたが、後から舞浜や東海大の方がひどかったと聞きました。何日か経ってから東海大浦安高校の避難所に行きました。仮設トイレを利用する方もいましたが、その避難所にもそれほど人がいなかったですね。その後はボランティアさんたちと便袋を作り、下水がダウンした地域に配布して回りました。私はその時、今川を担当しました。あとは土砂かきですね。道路管理課から指示がでて、「今日はどこどこで土砂かきをやるから○人派遣して」と、度々やりました。道路に穴が開いている、土砂が出ているなどの連絡が道路管理課に寄せられることもあったと聞きました。
●元町と新町の被害差に戸惑う:4月半ば過ぎてようやく作業も落ち着いてきたと思います。復旧作業をしているときは、新町エリアの職員に自宅の風呂や洗濯機を貸したこともありました。相模原の実家には無事だと連絡をいれました、たぶん震災翌日だったと思います。その日に出た指示に従って動く日々。家に帰ると平穏な状態。その落差に戸惑っていたという記憶があります。
●「市民の役に立てているのか?」が引っかかっている:当時のことを振り返ると、辛い思い出しかないですね。避難所や現場で「自分のやっていることが役に立っているのか?」と思う毎日でした。土砂かきをしていると市民の方から「ご苦労さま」と声をかけてもらうことが多かったのですが、本当にこの作業をやっていて良いのかと考えていました。資格があって救命措置をできるとか、避難所の運営経験があっててきぱき動けるとかではないし、有事にひとりの職員として何ができるか、ずっと引っかかっています。4年経っても薄れていないですね。