入船在住 30代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
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入船在住 30代女性 震災体験談(震災当日の出来事)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000035
説明・要約
【震災当日】
●臨月の外出先で被災。一番心配だったのは、もちろんお腹の中の子:臨月を迎えていた私はその日、当時短期入所していた祖母に会いに、母と当時4歳だった子と3人で海沿いの特別養護老人ホームへ行きました。祖母と一緒にテレビの国会中継を見ていると、突然アラーム音とともに緊急地震速報が現れました。祖母が「これ、なあに?」と私に訊いたので、その説明をしていたら突然大きな揺れが襲ってきました。ぐわあん、という感じで揺れるなか、窓外の海沿いの道路も波打っているように見えました。最初の揺れが収まると施設の職員の方が来て、避難誘導を始めました。祖母はスタッフに託し、母と子と一緒に避難しました。エレベーターは使えず、4階からの階段を下りる間、ずっと「今、生まれちゃったらどうしよう……」と考えていました。駐車場へ向かいながら、「また大きな揺れが来たら……」と思うと、とても怖かったのを覚えています。
●道路は冠水、帰路も緊張の連続:母の車で、新浦安に近い自宅へ送ってもらいました。道はひどいありさまでした。下水がマンホールから溢れ出し、タイヤが半分水に浸かるような状態です。路面の状況もわからず、運転していた母は、「道路がものすごくガタガタしている」と言っていました。自宅のある入船の団地は新浦安の駅前でしたが、近くの大型店から逃げてきた人たちで大変な混雑でした。交通整理をしていたガードマンに妊婦であることを告げると、混雑をかきわけて駐車場への入路を確保してくれました。家の中に入って確認したら大きな被害はなさそうで、ようやく落ち着いてテレビをつけました。それまでは家に帰らなくては……という思いに駆られ、詳しいことは覚えていません。
●情報はママ友から:主人に電話しようと思ったのは、自宅で一段落してからだったと思います。とにかく大変すぎて、詳細な記憶が飛んでしまっています。覚えているのは、団地にある広場スペースに避難してきた人々に対して、大きなメガホンを使っての誘導指示のアナウンスが聞こえていたこと。それが団地の住民に対するものなのかわからなかったので、情報はママ友たちとのメールのやりとりで得ていました。夫は都内の会社に勤務していましたが、帰宅したのはだいぶ遅くなってからでした。歩いてきたということでしたが、川を渡る幹線道に人が溢れて大混雑だったと言っていました。