海楽在住 30代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
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海楽在住 30代女性 震災体験談(震災発生翌日〜現在)
PDF版
インタビューを書き起こした記録です。
コンテンツ番号 UT00000032
説明・要約
【震災当日】
●陸前高田の姑の安否を気遣いながら、まずは水の確保に:翌12日の朝、テレビニュースで陸前高田のがれきが散乱する映像を見ました。姑の安否を心配しつつ、夫には朝から水の確保に行ってもらいました。ガスも止まり、風呂に入れない日々が始まりました。しばらくして、伝言ダイヤルで徐々に親戚の生存情報が寄せられてきました。でも、姑の安否はまだわかりませんでした。Googleパーソンファインダーも活用しました。これらを通して、これまでつきあいの無かった親戚とも何度もやりとりをしました。結果的にこのパーソンファインダーで姑の生存を確認することができました。
●トイレの水が流せないことが大きなストレスに:15日になって水が出るようになりましたが、市から災害対策メールが回ってきて、トイレに紙を流さないようにとの指示がありました。紙を流してトイレを詰まらせたトラブルの情報などがツイッターにもあり、紙は流さずビニール袋に集めるようにしました。これが大きなストレスになり、便秘や下痢など排泄にも影響が出るようになりました。また、水が使えないので、食器もまともに洗えず、パックに入ったチャーハンなどを買って食べていました。液状化の砂が空気中に飛散し、マスクをしないと外を歩けない状況も大きなストレスでした。
●お風呂に入って、ようやくほっとできた:姑の生存が判明してほっとした翌16日、お風呂に入ろうとお台場の大江戸温泉に出かけました。浦安市民は500円でホテルの浴場を利用できるという補助を利用して、シェラトンホテルにお風呂に入りに行ったこともありました。28日にガスが復旧しました。しかし余震もあったので、火災の心配もあって料理をする気にはなりませんでした。料理をするようになったのは、6月に入ってからのことです。
●経験から思う、今後の備え:今後の備えとして思い当たるのは、簡易トイレの準備。ビニール袋での代用は、においの問題があるからです。また、電話での連絡は難しくなるので、それ以外の連絡先を確保しておくことも重要です。日頃からメールアドレスの交換をするなど、備えておいたほうがいいと思いました。