浦安市立図書館

明治〜大正時代

石井桃子の生涯


明治に生まれ、大正、昭和、平成を生きた石井桃子は、生涯現役を貫きました。 浦和の豊かな家で末っ子として生まれた少女は、日本女子大学校英文学部に進みます。学生時代から菊池寛のもとで翻訳のアルバイトを始め、卒業後は文藝春秋社に就職。当時珍しかった「職業婦人」になりました。20代にはハイキングやスキーを楽しみ、青春を謳歌しています。同じころ、書庫の整理の手伝いのため、犬養家に出向いた石井は、ここで運命的に“くまのプーさん”と出会います。その後、戦争に向かう暗い世相の中で、子どもたちに希望を託すように、新潮社で「日本少国民文庫」の編集にかかわりました。 戦時下、女子挺身隊の引率教師狩野ときわと意気投合した石井は、共に宮城県で開墾生活を始める決意をし、38歳にして初の農作業に挑みますが、開拓農家の暮らしは経済的にも苦しいものでした。そんな石井を岩波書店が迎え入れます。プーとの出会い以降、海外の児童文学を研究していた石井の力が、「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」の発行のために必要だったのです。新しい日本の子どものための文学とはどうあるべきか? 試行錯誤を続ける石井はロックフェラー財団留学で、海外の児童図書館員や児童書編集者と交流の機会を得ます。新たな道を見つけて石井が帰国したのは48歳の時でした。
帰国した石井は、同じ志を抱く友人たちと児童文学の研究を深めるとともに、「かつら文庫」を開設します。この実践記録から生まれた『子どもの図書館』の影響で、日本各地に文庫活動が広がり、図書館づくり運動にもつながりました。目の前の子どもたちに語りかけるような多くの名訳は、この中から生まれました。 石井桃子の仕事は終わりません。1994(平成6)年87歳で小説『幻の朱い実』を刊行。99歳で乳癌が見つかった時、石井は迷わず手術を選びました。常に生きることを選んだ石井が亡くなったのは、2008(平成20)年4月2日。101歳と23日、激動の時代の中を駆け抜けた生涯でした。

年譜(PDF)

*PDF→石井桃子年譜*PDF

画像:ひみつの王国

ひみつの王国

尾崎真理子/著 新潮社 2014年

従来、児童文学者として語られてきた石井桃子を、著者は長時間のインタビューと綿密な取材でさまざまな角度から再評価していく。良識ある穏やかな家庭で育った幼年時代。女子大で英語を学び、出版社で働き、おしゃれやスキーを楽しんだ青春時代。終戦直後の宮城県での開墾生活。そして児童書の編集者として新時代を拓いていく戦後へと、常に前進を続け、101歳まで生きたその姿は、新しい石井桃子像を私たちに見せてくれる。第34回新田次郎文学賞受賞。

画像:琥珀のパイプ

石井桃子のことば

中川李枝子、松居直、松岡享子、若菜晃子 ほか/著 新潮社 2014年

石井が手がけた主な作品の解説や、石井桃子の生涯、表紙入りの「全著作リスト」、年譜などが収録されている。 著書や新聞・雑誌記事などから抜粋された“ことば”は、「石井桃子」を端的に表すものばかりであり、多数の掲載写真や、親交があった中川李枝子らの回想から「石井桃子」を知ることができる。

Copyright (C) 2007 浦安市立中央図書館