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登山記

著名な登山家の経験・体験に基づいて“登山”を知る。  
画像:『エベレスト登頂』

 『エベレスト登頂』世界山岳名著全集9

ハント/著 あかね書房 1966年

  エベレスト登頂は、高さへの挑戦に挑む探険家たちにとって、最大の目標となる難関だ。1952年、第9次イギリス遠征隊のリーダーとして選ばれたJ・ハントは、軍人であり、登山家でもあった。この本は1954年5月29日、エベレスト峰南側ルートを経て世界最初のエベレスト登頂に成功した登山隊の公式記録である。隊長として困難な登山の指揮をとる一方、隊員の一人に子どもが生まれたと電報で知らせが来た際のエピソードや、高山病や疲労に苦しむ隊員やシェルパたちの様子に心を痛める様子から、一人の人間としてのハントの一面が垣間見える。エドマンド・ヒラリー隊員による頂上登頂の箇所を読む頃には、言い知れぬ高揚感と達成感に満たされる。報告書の枠を超えた魅力的な読み物となっている。

画像:『雪煙をめざして』

『雪煙をめざして』

加藤保男/著 中央公論社 1982年

  登山に行く兄・滝男の姿をみて「なんと大変なご苦労なことをしていることか」と感じていた著者。しかし、高校3年の夏休み、兄の仲間に誘われて、軽い気持ちで山に登ったことから彼の登山人生は始まる。その後、次々に険しい山を制覇、1973年にエベレスト初登頂、1980年には中国側から登頂、1981年マナスル無酸素登頂を成し遂げる。何度も死に直面し、両足の指と右手の指3本を凍傷で失っても、著者を山に向かわせたのは何だったのだろうか。『わがエベレスト』(加藤保男写真集)も一緒にお勧めしたい。

 
画像:『垂直の記憶 岩と雪の7章』

『垂直の記憶 岩と雪の7章』

山野井泰史/著 山と渓谷社 2010年

  登山家というものは死の恐怖を感じないのか?なぜ、死と隣り合わせの過酷な挑戦を続けるのか?山野井泰史は本書の中でこう言っている。「かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。」
本書は、怪我や敗退を乗り越えながら、単独、無酸素で高所を目指し、12年間に18回も挑戦しつづけたヒマラヤの登攀記である。最終章は妻の妙子と挑んだ、ギャチュン・カン北壁。単独登頂に成功するものの、帰路に雪崩に巻き込まれ、壮絶な生還劇の末に手足の指10本を切断する重傷を負う。しかし山野井は復帰。現在も国内外でクライミングに挑戦している。望みを捨てず、頂上を目指して登り続ける、それが登山家なのだ。

画像:『生きた、還った 8000m峰14座完登』

『生きた、還った 8000m峰14座完登』 

ラインホルト・メスナー/著 東京新聞出版局 1987年(品切れ)

  8000メートル峰14座すべてに登ったことで名高い、ラインホルト・メスナー。頂上に達するために、ありとあらゆる補助手段が動員され、国の支援のもとに組まれた遠征隊が主流だった当時、メスナーは、少人数の遠征で、酸素装備を使わずにアルパイン・スタイルで高峰を征服するという偉業を成し遂げた。メディアの関心が高まり、他の登山家との競争的闘争などと騒がれたが、メスナーが求めていたのは競争ではなく、アイディアの実現としての首位権であった。新しいアイディアに導かれ、支えられ、駆り立てられた精神的爆発が冒険的な“遊び”につながっていたのである。14座完登に費やした16年の間、メスナーは鉄のようなトレーニングによる心身の力と本能で、山登りの限界と自分自身の限界を推し進めた。そして、何よりメスナーが決定的に特別な点は、「生き延びた」こと。2011年夏、自伝的映画『ヒマラヤ奇跡の山』が日本でも公開された。

画像:『山からの贈り物』

『山からの贈り物』

田部井淳子/著 角川学芸出版 2007年

  著者は1975年に女性で初めてエベレスト登頂に成功し、92年にも女性初となる7大陸最高峰登頂を果たした登山家である。本書は主に2006年に新聞や雑誌に掲載したエッセイをまとめたもの。巻頭に、紹介した山々の地図も掲載され、日帰りでも登れる国内の山から、一度は旅行を兼ねて挑戦したい海外の山まで、これから山登りをはじめようと考えている方々へ実践的に役立つ指南書になっている。登山を通しての交遊録は、一緒に登山をしているかのような臨場感だ。

画像なし:『八ヶ岳山麓 暮らしと山歩き』

『八ヶ岳山麓 暮らしと山歩き』

樋口正緒/著 新風舎 2007年

  著者は子どもの頃から故郷の山を登り、大学で山岳部に入部し、社会人になってからも登山を続けてきた。そして50代を過ぎてから、山で暮らしたいと考え始める。北アルプスの岩登りやスキーでの山滑りなど、汗を流して頂上を目指した「山登り」から、「山歩き」への転換。著者は八ヶ岳に自分の別荘を持ち、好きな時間に野山を歩きながら、じっくり自然を楽しみ始めた。本書には、著者のこれまでの登山記録と、自然の中で充実した時間を過ごす山荘生活という、二通りの山の楽しみ方が書かれている。

画像:『一日二日の百名山』

 『一日二日の百名山』

深田久弥/著 河出書房新社 2000年

  『日本百名山』は、著者の山岳関係の代表作だが、本書では小林秀雄らと雑誌「文学界」を創刊した小説家・深田久弥としての面が色濃い山岳エッセイとなっている。著者は、『奥の細道』『枕草子』『智恵子抄』等の文学の一説を引用しながら、山への美しさと親しみやすさを巧みに表現し、関東から比較的行きやすい個性的な山々を取り上げている。高妻山の章では特に、「山は心をあとに残すところがいい」という、著者の山への思いを感じることができる。この本を読んでいると、何故か百名山に登りたくなるから不思議だ。

画像:『ザイルを結ぶとき』

 『ザイルを結ぶとき』

奥山章/著 山と渓谷社 2000年

  1926年東京下町に生まれた著者は、少年時代から東京近郊の山に登り、次第にアルプス高峰の岩場を制覇するようになった。1958年1月、積雪期の北岳バットレス中央稜に挑む決心をし、往復25キロの通勤を自転車に変え、人工岩場に通い、鍛錬を積む。しかし、同時期、奥山を含む4つのパーティーが登攀の先陣を競っていた。奥山は当時の登山界の慣習を越え、所属の異なる5人でパーティーを組む。命を託すザイルのオーダー(結び順)はカードで決めることになった。雪山の過酷な自然との戦いに加え、登山家としてのプライドを掛けた戦いが始まる。優れた登山家であり、映画作家であった奥山の遺稿集。

画像:『登山の誕生』

 『登山の誕生』 人はなぜ山に登るようになったのか

小泉武栄/著 中央公論新社 2001年

  日本では聖地、西洋では悪魔の棲家。古来山は畏怖の対象であり、登山は限られた人々の行為だった。しかし、18世紀以後、西洋ではルソーの思想・ラスキンの『近代絵画論』の影響や、産業革命による富裕な市民層の登場により、自然を愛で、冒険心を満たすための自由な登山が始まる。日本には修験道や御嶽講などの信仰登山があったが、現在のようなスポーツとしての登山は明治期の日本山岳会の発足による。その後、日本の登山はエベレストなどを目指す先鋭的登山と一般的登山に二極化して現在に至る。自然地理学者の著者は、登山の歴史をわかりやすく紐解きながら、これからの登山スタイルとして、日本独特の山の地質や植物の生育環境を知り、ゆっくり登る知的登山をすすめている。

画像:『日本アルプスの登山と探検』

 『日本アルプスの登山と探検』

 ウォルター・ウェストン/著・青木枝朗/訳 岩波書店 1997年

  著者ウェストンは明治21年、27歳で英国聖公会の宣教師として来日。槍・穂高など主だった山々に登り、帰国後この記録を“Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps”として出版した。西洋に「日本アルプス」という言葉を知らしめたのはこの本がきっかけといわれる。山の観察はもとより、人間味あふれる強力や宿の人々などの日本人観察は皮肉まじりで面白い。偶然この原書を目にした岡野金次郎が再来日中のウェストンを訪ね、小島烏水らと日本山岳会を作ったことは有名。ウェストンはその後も日本におけるスポーツとしての登山の発展に大きく寄与した。彼が愛でた上高地では、毎年ウェストン祭が催される。

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