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歴史を追う

歴史に強い関心を抱いていた清張は、社会派推理小説だけでなく、歴史小説、時代小説、古代史ミステリーなども発表しました。史実と創作が融合され、エンターテイメント性もある作品は、歴史家にも小説の読者にも驚きを与えました。清張には、公的な史料から時代の息吹を伝える俗書まで、様々な文献を組み合わせる柔軟さがありました。これら史料の研究はその後の歴史評論へと繋がっていきます。邪馬台国の場所、卑弥呼=巫女集団のリーダー・ヒミカ説、壬申の乱の隠された謎、陸軍士官学校事件…。膨大な史料を解読し、照らし合わせ、その間にあるものを推理する。自身の創作スタイルそのままに、清張は古代史から現代史まであらゆる時代を研究し、新たな史観を発表していきました。
画像:古代史疑

古代史疑

松本清張 中央公論社 1968

古代史を疑う清張が一人の学徒として邪馬台国論争に切り込んだ作品。今までの膨大な研究史や諸々の学説を紹介しながら、独自の視点で『魏志倭人伝』を整理し、あらたに解釈したものである。例えば、魏志倭人伝は、著者陳寿がフィクションを交えて書いているのではないかと論証する。この作品をきっかけに清張は「記・紀」を元に邪馬台国以後の日本古代史を研究した『古代探求』や、古代から奈良朝成立までを論じた『清張通史』などを発表、古代史の謎を継続的に追い求めていった。

画像:陸行水行

陸行水行

松本清張 文藝春秋 2007

大学講師川田修一は大分で、松山の村役場吏員で郷土史家の浜中という男に会う。浜中は邪馬台国の所在について自論を熱く語り、「魏志倭人伝」に書かれた「水行十日、陸行一月」の場所は阿蘇の近辺にあると言った。その半年後、浜中は、川田の名刺を見せて論文の出版費用を数人から借り受け、醤油屋の主人と二人で邪馬台国を探しに出かけると行って行方不明となる。彼らは一体どこへ消えたのか。邪馬台国論争を織り込んだ内容は当時の「邪馬台国」ブームに拍車を掛けた。

画像:昭和史発掘

昭和史発掘

松本清張 文藝春秋 2005

昭和前期を「われわれの立っている地点を見定める上からも」重要であると考え、昭和に影響を与えた大正末期の三つの事件から二・二六事件までの「今日的視点に立って、できるだけ底流から材を拾」った二十の事件を、膨大な史料と証言をもとにして書いたノンフィクション。特に後半の二・二六事件については、埋もれていた極秘史料から事実を発掘し、当事者らの証言を交えて事件を精緻に再現しつつ、大胆な推論を加えたことが特徴で評価が高い。雑誌「週刊文春」に昭和39年7月から6年9ヵ月にわたって連載され、18編は全13巻に単行本化された。単行本未収録の2編は、現在『対談昭和史発掘』(文春新書)で読むことができる。

画像:小説東京帝国大学

小説東京帝国大学

松本清張 筑摩書房 2008

明治35年、私立大学の哲学館(現:東洋大学)の卒業試験で一人の学生が出した答案が、文部省や大学界を揺るがす事件へと発展した。これは、文部省が私立大学をつぶそうと仕組んだものなのか。政治家、大学教授、学生、社会主義者ら多くの人間の関わりを追ううちに、「国家ノ須要ナル」人材の養成を目的とした明治期の東京帝国大学の姿が現れてくる。東京帝国大学をめぐる数件の事件を、事実に基づき、実録的に描いた小説。雑誌「サンデー毎日」に「小説東京大学」の題で、昭和40年6月から41年10月まで連載された。

画像:火の路

火の路

松本清張 文藝春秋 2009

T大学史学科の助手高須通子は、飛鳥地方の石造物を研究していた。ある時、調査旅行先の路上で、倒れている男性を助ける。その男性は、かつて学会から追放された著名な史学者梅津信六だった。奇妙な縁で梅津と知り合った通子は、梅津から研究の糸口を示唆されてイランへと旅立つ。石造物の謎について、清張自身が調査・研究、推論して執筆した質量ともに見事な大作。学術的研究のみならず、大学内や学会の人間関係や軋轢、古代研究の不確かさ、盗掘の問題などにも触れている。朝日新聞に「火の回路」のタイトルで昭和48年6月から49年10月まで連載され、古代史に興味を持つ人と飛鳥地方を旅する人々の石造物への関心をよんだ。

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